154/366日・・・6月2日は何の日?
裏切りの日
天正10年(1582年)の旧暦6月2日、明智光秀の軍が京都の本能寺を襲い、織田信長が命を落とした本能寺の変にちなむ日です。主君への謀反として知られる出来事から、この名で紹介されています。信長の死は、戦国時代の勢力関係を大きく変える転機となりました。当時の人物や土地、史料に目を向けながら、日本の歴史を動かした出来事を振り返る機会となります。
※詳しくは「裏切りの日」をご覧ください。
横浜港開港記念日・長崎港開港記念日
1859年の旧暦6月2日、横浜や長崎などで条約に基づく自由貿易が始まったことにちなむ日です。今の暦では7月1日に当たり、横浜の開港記念日は旧暦の日付に由来しています。長崎はそれ以前から海外との貿易港であり、1859年は貿易の仕組みが変わった節目です。人や品物とともに新しい文化や技術が行き交い、港町が発展してきた歴史を振り返る機会となります。
横浜カレー記念日
かつて横浜にあった横濱カレーミュージアムが、横浜港の開港記念日に合わせて制定した日です。開港とともにカレーが日本へ入ったという説に基づきますが、日本への伝来の時期や経路にはさまざまな説明があります。港を通じた海外文化との出会いが、地域の食にも影響を与えてきました。昔ながらの洋食から多彩なスパイス料理まで、カレーの広がりと横浜の食文化を楽しむ記念日です。
路地の日
長野県下諏訪町の「路地を歩く会」が、路地の魅力を見直し、残していこうと制定した日です。「ろ(6)じ(2)」という語呂合わせにちなみます。下諏訪は、中山道と甲州街道が分かれる宿場町として栄え、今も細い道に暮らしの風景が残ります。大通りから少し離れた場所には、町の歴史や住む人の営みが感じられます。身近な道を歩き、地域の小さな魅力に気づくきっかけとなる記念日です。
甘露煮の日
愛知県豊橋市の平松食品が、甘露煮の魅力を広めるために2003年に制定した日です。「ろ(6)に(2)」という語呂合わせや、本能寺の変にまつわる佃煮の伝承にちなみます。家康の帰還を漁師の保存食が助けたという話は、由来として伝えられるものです。小魚などを甘辛く煮詰める甘露煮は、ご飯のお供として親しまれてきました。食材を加工し、おいしく長く楽しむ知恵に触れる記念日です。
おむつの日
紙おむつなどを手掛ける大王製紙が、赤ちゃんの健やかな成長について考えてもらうために制定した日です。6月2日を「062」と書き、「お(0)む(6)つ(2)」と読む語呂合わせにちなみます。おむつ替えは、子どもの様子を見守り、声を掛けたり触れ合ったりする日々の育児の一場面です。身近な用品に目を向けるとともに、子育てをする人や、それを支える人々の暮らしを考える機会となります。
むずむず脚症候群の日
むずむず脚症候群友の会が、病気への正しい知識や理解を広めるために制定した日です。「む(6)ず(2)むず」という語呂合わせと、同会が2008年6月2日に創立したことにちなみます。患者や家族が経験を分かち合い、病気について知ってもらう活動につながっています。外からは分かりにくい困りごとにも目を向け、当事者の声や、相談できる場の大切さを考える機会となる記念日です。
オムレツの日
日本シュリンク包装卵協会が、オムレツを通して家族の食卓や卵料理に親しんでもらうために制定した日です。6月2日を「0602」と書き、「オム(06)レツ(02)」と読む語呂合わせにちなみます。溶き卵を焼いて包むオムレツは、具材やソースを変えることで、さまざまな味わいが生まれます。料理を作る時間や一緒に食べる楽しさを通じて、身近な食材の使い方を広げる記念日です。
ローズの日
ブルガリアンローズ文化協会が、バラを通じて感謝を伝え、文化交流を広めるために制定した日です。「ロ(6)ーズ(2)」という語呂合わせと、バラが咲き、ブルガリアで収穫を祝う祭りが行われる時期にちなみます。花や香りを楽しみながら、大切な人へ思いを伝える日とされています。バラを育て利用してきた地域の文化を知り、花をきっかけに人と人のつながりを感じる記念日です。
ロープの日
全国鋼索商業連合会が、ワイヤロープの役割や安全について知ってもらうために制定した日です。「ロ(6)ープ(2)」という語呂合わせにちなみます。鋼の細い線をより合わせて作るワイヤロープは、クレーンやエレベーターなどで、物を持ち上げたり支えたりする仕事を担っています。用途に合わせた選択や点検が大切な部品です。産業や暮らしの動きを支える技術に目を向ける記念日です。
6月2日が誕生日の有名人
- 西川大輔
- 神保美喜
- ペタジーニ
- アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
- 又吉直樹
- ナガシマトモコ
- 齋藤彩夏
- 兼崎健太郎
- 沢城みゆき
裏切りの日
<裏切りの日>由来
1582年6月2日、京都の本能寺で織田信長が家臣である明智光秀の裏切りにより攻められ、本能寺で自害した事が、この日を「裏切りの日」とした由来となっています。
本能寺の変
近年、本能寺の変については、従来の「光秀が信長への遺恨から謀反に及んだ」という説に加えて、「光秀の背後に黒幕がいた」という説が登場しています。また突発的な野望にて行われたという説もあります。
突発的野望説では、織田家当主の信忠が京都滞在を決めていた中、光秀が突如として野望を抱き、信長を倒す決心をしたというものです。織田家の重臣たちは遠方で戦っていたため、光秀は今なら自身が有する兵力を活かせば、信長を討つことが可能なのではと考えたとされています。
また、他にも、朝廷黒幕説や足利義昭説など、複数の説が存在しています。しかし、専門家の間では、反証史料や状況証拠を用いて、各説の矛盾を指摘しています。一部の専門家は今でも光秀が信長への遺恨から謀反に及んだ、光秀の単独犯行であると断定しています。
本能寺の変には様々な説がありますが、真相はいまだ藪の中といったところでしょうか。しかし、明智光秀の子孫・憲三郎氏は、ベストセラーとなった著書「本能寺の変431年目の真実」で、「光秀は信忠が京都に居たことを知らなかった」と述べています。この本は私も読ませて頂きましたが、大変興味深い内容となっています。興味のある方は一度手に取ってみてはと思います。このように本能寺の変の真相をめぐっては、今も続々と新説が登場している状況です。
現代に至るまで多くの人々に興味を持たれ続けている本能寺の変。これからも歴史の謎として、語り継がれていく事でしょう。

